呆気に取られる相手など無視で、ツバサはそのまま美鶴の左腕を掴む。
「まだ夕飯までには時間あるし、すぐそこだからさ」
「すぐそこって、何でお茶なんか」
「身体冷えちゃったからさ、ちょっと暖まってから帰ろうよ」
「私はすぐに帰りたい」
と、そこで美鶴は視線を落す。
本当は家になど帰りたくはないのだ。
ツバサに付き合えば、少しは家に帰る時間が遅くなる。たとえそれが単なる時間稼ぎにしかすぎないとしても、それでも美鶴は、できるだけ家には帰りたくなかった。
抵抗する力を少し緩める。そんな美鶴を引っ張るように、ツバサが一歩。
「私は少し、暖まりたいの。ね、ちょっと付き合ってよ。電話のお礼に奢るからさ」
「はぁ」
なぜツバサが突然そのような事を言い出したのか美鶴にはわからない。だが、口では不満そうな声を出しながらも、美鶴は結局ツバサに付き合うような形で歩き出してしまっていた。
ツバサとしては、もちろん無意味で誘ったワケではないが、メチャクチャ重大な意味があったワケでもない。
個人宅を改造した小さなカフェは、日曜の夕食時を前に、意外と混雑していた。ほとんどが女性。数人、年配の男性も混じっている。ザワザワとした店内で、ツバサと美鶴は幸運にも店の一番奥の席を確保する事ができた。湯気の立つカフェオレを前に、二人はしばし沈黙した。
美鶴はぼんやりと店内を見渡す。
夏にメリエムと来た時にはずいぶんと冷たい印象を受けた。今は夏の時よりは暖かいと感じる。それは冷えた外気と比べて暖かいからか、それとも店を営む人間が、夏は冷たく、寒くなれば暖かさを感じるように見えない気配りを施しているからか、もしくは二度目だから少し親近感でも湧いたのか、それとも―――
美鶴は視線を落す。
別にどうだっていい。
手持ち無沙汰で仕方なくカップを持つ。一口啜ると、唇に熱い。
「混んでるね」
ツバサの言葉にも仕方なく頷いた。
そんな美鶴の態度に、ツバサも視線を落す。
「山脇くんさ、何かやった?」
「え?」
再び瑠駆真の名前が出てくる。ワケがわからないと言った表情の相手に、ツバサが緩く笑う。
「何かね、土曜日の放課後に学校で噂が広まったの。山脇くんがね、美鶴の自宅謹慎を解く為にすごい事やったって」
「すごい事?」
「生徒会の副会長に、喧嘩売ったって」
「け」
喧嘩を売った。
あの瑠駆真には似つかわしくない言葉。だが美鶴も事情は知っている。
素直に知っているとも、嘘をついて知らないとも答えられない美鶴の表情に、ツバサが軽く眉を寄せる。
「土曜日の帰りに立ち話を聞いただけだから詳しい事はわからないけど、なんかすごい事になってるって話だったから、山脇くん、そのまま美鶴にも何かやったり、言ったりしたのかなって思ったの」
そこで一口啜る。
「金本くんも美鶴の為だって熱り立ってるみたいだし」
ふふっと笑みを零す。
「モテる女は辛いね」
美鶴はソッポを向いた。なんだか馬鹿にされたような気分。別に、好きで好かれているワケではない。
――― 本当にあの二人が自分の事を好いてくれているならばという話だ。
不機嫌そうに視線を逸らした美鶴に、今度はツバサは動じない。このような態度は予測しての発言だ。
少し間を置き、カップを置いて口を開いた。
「金本くんの方はさ、責任も感じてるみたいだし」
「責任?」
「うん。自分の妹のせいで美鶴が謹慎になったって」
「あぁ」
まぁ確かに、直接の原因は聡の義妹の緩である事に間違いはない。だが瑠駆真の話では、根源は副会長の廿楽とかいう女子生徒だと言う。
「別に聡のせいじゃない。責任なんて感じてもらう必要はない」
どうせ誰も、私の力になれる人間なんていないんだから。
そんな冷めた言い草の美鶴をチラリと見遣るツバサ。
「そんなにさ、金本くんとか山脇くんの事、嫌い?」
「え?」
好意的と思われるような行動は取っていないが、だからと言っていきなり嫌いの発言は大袈裟ではないか。
そう呆れる美鶴に対して、ツバサは真顔。
「二人ともさ、真剣だと思うよ」
そこで今度はツバサが視線を外した。
「シロちゃんの事さ、まだ怒ってる?」
シロちゃん?
一瞬誰の事だかわからず首を捻る美鶴の目の前に、子犬のような瞳がクリクリと光る。
里奈。
突然現れた昔の友の存在に動揺し、どうして今度はいきなり里奈の名前が出てきたのかと、さっぱり理解できない。困惑し、美鶴は何も発言できない。
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